実績とプロフィール

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群馬県出身の東京育ちです。社会人になるまでは東京を出たことがありません。

社会人では名古屋に転勤になり、東京より長い期間を社会人として住んでました。第二の故郷です。

妻と子ども3人の父親として奮闘中です。
1988年生まれのぎりぎり昭和生まれです。最後の昭和と言えないのは1989年生まれの7日間があるからです。

音楽が大好きです。音楽フェスには、フジロック、サマソニ、アラバキロック、ロッキン、ライジングサン、CDJなど参戦しました。
今は、yama 、藤井風、YOASOBI、Vaundy、マキシマムザホルモンなどを聴いてます。
今はあまりやりませんがゲームも大好きでメタルギア、FF、ドラクエ、ポケモンなどをやっていました。
メタルギア3のオンライゲームはTEAMを作って毎晩戦っていました。

と個人的な自己紹介はこの辺にしておいてですね。この後にも色々エンタメは出てきますので、僕の経験をお話しさせていただきます。

簡単な略歴

これまで10年間一般の会社に勤めている、どこにでもいる普通のサラリーマンです。

一部上場企業のため、少しだけ周りの同世代よりは年収は高いかもしれないです。

母の病死のきっかけと子供達の将来を考え、今までの生活を守るだけでは会社で勤めているだけではダメだと思う気持ちと、好きなことして人生の幸福度を上げて後悔のない生き方をしたいと思うようになりました。

家庭環境

私の家族構成は父・母・兄・私の4人家族の次男とし生まれました。父は個人の設計事務所を経営して、母はピアノの先生をしていました。
昔ながらの頑固な父親と優しい母で、父は子供のおむつを替えたことがないようなTHE昭和と呼ばれるような人でした。

そのため、教育は少し厳しかったかと思います。普段は優しいですが、怒ると厳しい厳格な父でした。

母はいつでも私の味方でいてくれる心優しい母でした。

兄は昔は喧嘩ばかりしていました。ただ次男の特権です。周りの大人はいつも私の味方をしてくれていました。兄は高卒ですが、現在は法人や農家を嫁ぐなど私の普通の人生の真逆を行くような存在です。

そんな家庭が育った私がこれまでの人生を振り返ってきた際に好きなことと思ったのがンターテインメントでした。

エンタメの出会い。
エンターテインメントとは人々を楽しませる娯楽です。人生を豊かにするのに必要不可欠だと思っています。そう私の人生はエンタメでできているといっても過言でありません。
幼少期
幼稚園
私の幼稚園時代はもう世の中にはゲームが流行っている時代でした。だた、私の家庭ではその当時ゲームを買ってはくれませんでした。なので友達の家に行ってはゲームで遊んでいました。
当時の機種はゲームボーイとファミコンでした。あの分厚いやつと赤いやつです。
好きだったソフトはスーパマリオランド3ワリオランドでした。今でもまだあの火を吹くドラゴンや空飛ぶジェットやバイキングの変身は覚えています。でも自宅にはゲームがありません。当時私は幼いなりに考えたんだと思います。そうだ!自分で作れば良いのでは??もちろん本物を作る訳にはいかないので、どう作ったかと言うとパラパラ漫画の要領です。思い出すシーンを何枚も書きました。簡単なゲームボーイ本体も作ったと思います。十字キーとAボタン・Bボタン。あの当時は自分のために作っていましたが、人に何かを作って喜ばられることが嬉しい・楽しいという今の自分に繋がっていたのではないかと思います。
小さい頃記憶にあまりないのですが、幼い時、ウルトラマンや仮面ライダー通ってきませんでした。だからですかね?今になって遅くなってやってきた反動かと思います。笑

小学生
低学年
小学生時代は普通に王道なアニメやマンガを観てきました。
ポケモンのポリゴンショック覚えていますか?僕もあの当時普通に見ていましたが、特に何もなりませんでした。
暗い部屋では見てなくて良かったです。このころからスーパーファミコンの星のカービィDXやスーパードンキーコングシリーズが大好きでした。
星のカービィーDXで一番何が好きと言われたら全力でチキングルメレースと答えます。

高学年
普通の人より少しだけアニメが好きで、少しだけマンガが好きなだけなごく一般的な少年でした。
レッツ&ゴー・デジモン・ワンピース・ポケモンなど、王道は通ってきました。
ドラえもんやデジモンは映画にも行ってました。映画館でもらえるおまけのおもちゃが当時嬉しかったです。また、父親が大のこち亀ファンだったため、マンガも全て持っていました。他にも美味しんぼや三丁目の夕日なども父が買って読み回ししていました。

中学生
中学生になったらテニスの王子様に憧れテニス部に入りました。正直な話は、野球少年だったのですが、坊主には絶対したくなかったので、マンガで大好きだったテニス王子様に憧れてテニス部に入りしました。人生の影響を与えたマンガとアニメ
初めての彼女と行った映画もディズニーのファイディングニモでした。
私のエンタメの転機は中学3年生かと思います。その当時はテニス部で月に1度テニスコートを抽選で取りに行く行事がありました。大体その後みんなでゲーセン行ったりなどして軽く遊ぶ流れになります。ただその日はみんな帰る感じになったので何もせず、午前中には帰宅になりました。後日たまたま話を聞いてしまったのですが、その日一緒に駅まで向かって友人が実は別れた後テニス部の友人と遊んでたそうです。そう。はぶかれたみたいです。理由はよく分かりらないし、目立ってハブられた訳ではなかったのですが、少しずつ部活には行きにくくなりました。卒業アルバムにはテニス部として写真には写りましたが。中学の最後の方には退部届を出しました。そんな時に合わせて友人関係が部活から少しずつ変わっていきました。元々地元で仲の良かった友人がいました。部活はバトミントン部で部活内で結構オタクな集まりでした。そんな時に出合ったのが【涼宮ハルヒの憂鬱】です。その友人の紹介がきっかけで視聴したら、ドはまりしました。
そこからがオタク道まっしぐらです。また、小学校時代からの友人でマンガ・アニメが好きだった友人の家に行ってはマンガを借りたいしていました。そこで出会えたのが最終兵器彼女やあずまんが大王、苺ましまろ、ARIAでした。
株の優待で映画のチケットがあるため、よく学校の帰りに友人を誘って映画にも行きました。

 

高校生

高校はエスカレータ式のため中学からの友人と高校からの新しい友人と関係は広がりました。
テニス部の友人とは同じクラスだった人もいますが、基本は関わっていませんでした。

高校は部活は入らずに帰宅部で初めてのアルバイトを始めました。
初めてのアルバイトはコンビニエンスストアでした。時給は最低賃金の750円でした。

高校時代に出会えたアニメとマンガはらきすた・ARIA・クラナドでした。
地元の友人との誕生プレゼントはオタク縛りでした。友人にはSOS団のTシャツをプレゼントし、私はクラナドの知世の抱き枕カバーをもらいました。一度も使ったことがないですが、まだ家にあります。
この頃からアニメ・マンガだけではなく、エンタメ全般いろんなことに興味を持っていました。
小説・音楽・ドラマです。

大学生

大学生にもなるとエンタメ(娯楽)が広がり、パチンコ・スロットにもはまっていました。
収支を途中までつけて今いましたが、60万ぐらいはマイナス収支だった気がします・・・・・
現在の妻との出会いも大学のサークルです。
夏はテニス。冬はスノボーといわゆる飲みサーでした。
大学生活を振り返ると、これも普通の学生だったと思っています。1年2年で単位をフルで取って、3年4年は授業が少なくなったので、バイトしながら遊びまくってました。
スロット→麻雀→からのバイトなど普通ながら充実してたと思います。
アルバイトは大学入ってからイタリアンのホールで働きました。地元では結構有名で大きめのお店で周りの時給よりは高かったです。
そこで出会えた仲間達は今でも連絡を取り合っています。そのバイト先も2023年に契約の関係から閉店になってしまった時にもこのバイト先の仲間達で集まり、最後の晩餐をしたことは一生忘れません。名古屋から7時間かけてバスで向かった甲斐がありました。

大学院生
理系の大学だったため、就活も少ししてましたが、院生になるのが当たりまえの流れがありました。研究室は建築+情報関連の研究室でした。研究のお供にニコニコ動画の作業用BGMが最強でした。
私が一番聞いていたのは【6200円払わなくても1時間だけ夢と魔法に浸れる】が作業のお供でした。
研究の合間によくスロットにも行ってました。

社会人
これだ!!というやりたいこともなかったのでなんとなく研究職を希望してました。色々受けましたが、最終面接まで行ったのはその会社だけだったので受かった時点で就活を終えることにしました。配属したところは研究職ではなかったですが、この、こ10年続けてこられてたので、嫌いではないみたいです。激務と精神的に辛いこともありましたが、会社の人との縁はあり、良い職場であった思います。入社してから技術職は半年、営業職は1年という研修期間がありました。
研修期間は天国でした。お金がもらえる学生というイメージでした。泊まり込みの研修だったため、研修がおわらったら、ご飯、スロット、夜は麻雀とだらけ買った生活でした。入社して3年間は東京でしたが、4年目から名古屋に異動になりました。名古屋は転勤族が多く、まず転勤してなかったら降りない駅だったと思います。この異動のタイミングで妻ちゃんにプロポーズしました。学生時代からのお付き合いのため、7年という何月が経っていました。

 

 

親になってみて

子供が生まれるともちろん生活の中心は子供になります。
時間もお金も子供に費やします。マンガを読む時間が少なくなるのでレンタルや購入する機会も減りました。アニメを観る本数も減り、少しだけエンタメ世界から離れました。

 

母の病死

2017年に母は62歳で病死しました。ここ最近に母の生前の思いの手紙を見つけました。
人間いつ病気になっておかしくないです。そして死ぬかもしれない。でもこのまま仕事をしても将来が不安だ。子供も生まれて子供の将来も不安でした。そんな時にお金を守る365日というコミュニティに出合いました。

 

私は好きなことして、人生の幸福度を上げて、子供の将来を守れることを信念にアニメやマンガのエンタメを通じてお金を守る方法を情報発信します

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kiko

kiko

1988年8月生まれ▶年齢:35歳▶性別:男▶家族構成:妻・子供3人▶アニメ・マンガと共に人生(CLANNAD)を歩んできた▶何十年経っても記憶に残り続けるアニメ・マンガや人生を変えるキッカケになるアニメ・マンガを紹介▶サラリーマン10年▶好きなことを仕事にしたい▶個人事業主開業▶法人設立予定▶家族を守るためお金を守る勉強中